浮世絵 — 山本さと子

山本さと子は、木版画、モノタイプ、エッチング、シルクスクリーンなどの手法を用いながら、ユニバーサルな感性と回顧を、形あるものに記録するために追求し続けている。

京にて生誕した受賞アーティスト山本さと子は、アートというものは職業にも趣味にもなりえると言う考え方の家庭環境において育つ。2013年にニューヨークに移って来たことをきっかけとし、彼女の人生とキャリアは プリントメイキングと製紙技術のテクニックを習得しフルタイムのプロフェッショナルアーティストとして活躍して行くことを受け入れた時点で完全に変化して行った。

アゴラギャラリーでのオープニングレセプションに参席中のさと子

山本さと子は、木版画、モノタイプ、エッチング、シルクスクリーンなどの手法を用いながら、ユニバーサルな感性と回顧を、形あるものに記録するために追求し続けている。彼女のスタイルは、17世紀から19世紀の間に日本で栄えた、文字通りに訳せば “pictures of the floating world” と言うジャンルの、浮世絵の伝統技術を思い起こさせる。

何がきっかけとなり、製紙とプリントメイキングへの情熱を見出したのですか?

スタジオで製作中のさと子

東京から引っ越してきた時、たくさんの変化が私に訪れました。元々人付き合いが苦手で、誰かと話をしなければいけない時には自分の内にこもってしまうタイプでした。でも私は今、ニューヨークにてフルタイムで働くコンテンポラリーアーティストになりました。アートが私の言語になったのです。説明をしなくても、アートを通して私自身を表現する事ができるので、私のスタジオはニューヨークの中でお気に入りの場所になりました。プリントメイキングと製紙に必要なセットアップをしている時のプロセスが、特に気に入っています。完全に輝いている様な気分になるからです。

あなたの作品は、鮮やかな色と鮮明な色彩から、暗いトーンのものまで様々に及んでいますが、どんな風にパレットの色を選んでいるのですか?

普通は、版画家は暗い色のインクをエッチングに使います。私も伝統的な製法に従いそれを組み込んでいますが、エッチングと製紙のテクニックを結びつける時には、色鮮やかなものを作るようにしています。エッチングは伝統的な芸術ですが、私自身の制作には新しい手法を使うようにしています。そのため、ピンクや緑、または、黒い顔料を使っているのです。

 

あなたの作品が「共通の感情を通して、人々を結びつける」とおっしゃっていますが、もう少し詳しく説明して頂けますか?

世界の中でも最も重要な多文化の町として、国家について語るのは、ニューヨークではとてもよくあることです。国境を超えて人々と繋がる一番良い方法は、それぞれが感じたことを表現することだと思います。私の一番最初の絵の先生が教えてくれた事ですが、目をグラスの上に、ノートの上に、または、帽子の上に描くことで、人々はその目を見るために立ち止まってくれる。その方法だと、物を通して、感情を分かち合えるのです。私たちがお互いの目を見つめる時に、自分の感情を無視することは出来ません。私の夢の一つは、私のアートを通して世界中の人々と交流することです。誰かが「日本の事についてはあまり知らないけれど、山本さと子の作品は好きだ」と言ってくれるのを聞けたら素晴らしいと思っています。

 

影響を受けたアーティスティクなものは何ですか?

私の祖先である平井晴二郎は、初めてアメリカの学校で教育を受けた日本人です。(ウィキペディアを見て頂ければお分かりになると思いますが、11月13日は彼の誕生日で、私の誕生日一緒なんです!)晴二郎は、鉄道のエンジニアとして日本で働く前は、アメリカの政府で働いていました。彼の息子である平井武雄は、第二次世界大戦前までニューヨークに住んでいた水彩画家です。自身の父親から絵を習った祖父より私が絵を習った様に、絵を描くと言うことは私の家族にとってはありふれた事です。私はアーティストになると言う事を、武雄より引き継いだのだと信じています。

どの様に新しい作品を描き出すのですか?スケッチを使うのですか、それとも、自然に描き出すのですか?

 

アワガミファクトリーにて、版画家と製紙家として招かれたさと子

スケッチは毎日しています。そして、現実的なイメージと私の想像の中のイメージを合体させます。新しい作品を作り出す前に、同じ作品を何度か描く時間に費やします。例えば「At the Bar」は4~5回スケッチをしてから完成させました。いつでも、どこに行く時でも、ノートブックと万年筆は持ち歩いています。アートのための使命を果すかの様にです。

日本人として、素晴らしい文化であり、歴史的でもある版画や版画技術の様式は、どの様にあなたに影響を与えましたか?(北斎や広重や、浮世絵など。。。)

アート制作は、私の家族の中ではしきたりになっていて、美術館や展覧会にはしばしば出かけて、評論的な視点から意見を交わす機会を常に持っていました。私の母が好む年代は、江戸、明治、大正です。母は、私の中に日本の伝統文化の重要さを刻み込みました。私の両親の家ではアートに囲まれて育ったので、私の作品が誰かのお気に入りの場所に飾られる様に願っています。

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山本さと子についてもっとお知りになりたい方は、アーティストプロフィールをご覧いただくか、ARTmineのページに掲載されている作品をご覧ください。彼女の作品は、6月12日までLife is But a Dreamのグループ展の一部としてギャラリーで展示されています。

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5 thoughts on “浮世絵 — 山本さと子

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  1. 昨年9月に山本さと子さんにご連絡とらせていただきたいとコメント欄にメッセージを書いた南八枝子です。さと子さんのお祖父さまの平井武雄さんについてお話しできればと心より願っております。お祖父さまの残された画や、軽井沢千ヶ滝でのご生活について、ご存じのことを教えていただきたいと願っております。こちらは平井武雄さんと南薫造との間で交わされた親友関係を伝える文通、日記の記述、作品等を所持しております。ひ孫さんにアーティスティックな才能が繋がって、本当に素晴らしいことだ思っております。

  2. 東京在住の南八枝子と申します。山本さと子さんにお取り継ぎいただきたく、お願い申し上げます。と申しますのも、平井武雄さんを検索していて山本さと子さんがひいお祖父様だと書いていらつしゃるのを見つけたからです。
    私は2011年に『洋画家南薫造 交友関係の研究』を出しています。平井武雄さんから南薫造に宛てたハガキや南の残した日記から美校の同級生で大親友だった二人の交友関係も書いています。
    山本さと子さんに是非お近づきを得たいとぞんじます。
    よろしくお願い申し上げます。